はじめに:「外来が嫌い」。かつての私は本気でそう思っていた
かつて、私は外来診療が心底、嫌いだった。今、こうして穏やかな気持ちで外来を楽しんでいる自分を、当時の私が見たらきっと信じられないだろう。
多くの同業者、あるいは他業種のプロフェッショナルも、かつての私と同じように「この仕事はもう嫌だ」と感じているかもしれない。だが、少しだけ立ち止まって考えてみてほしい。あなたが嫌いなのは、本当にその「仕事」そのものだろうか?
本稿では、外来が大嫌いだった一人の医師である私が、フリーランスとして経済的自由を達成したのち、ひょんなことから再び外来と向き合い、「医療は最高の趣味だ」と確信するに至った体験談を語りたい。これは、私自身の大きな「学び」の記録である。
私が「外来」を憎むようになった理由
私が常勤医として働いていた頃、外来はひたすら苦痛の時間だった。その理由は明確だ。それは、個人の努力や誠実さが全く報われない、不合理な「システム」の中にいたからに他ならない。
頑張れば頑張るほど「罰」が与えられるシステム
私が効率よく患者さんを診れば診るほど、病院は私に新しい患者を割り当ててくる。一方で、のらりくらりと仕事をこなす同僚は、悠々自適に過ごしながら、私より高い給料をもらっていたりする。この理不尽さに、私は納得がいかなかった。
これは、真面目に働く人間が損をするように設計された、欠陥のあるゲームだ。頑張りが評価や報酬ではなく、さらなる労働という「罰」になって返ってくる環境で、モチベーションを維持することなど不可能だった。
患者が増えることで生まれる「負の連鎖」
担当患者が増えれば、当然、中には面倒な要求をしてくるクレーマーのような人に出会う確率も上がる。彼らへの対応に時間を取られると、他の患者さんの待ち時間が長くなる。すると、今まで穏やかだった患者さんまでが、「まだか」と不満を口にするようになる。
この「負の連鎖」を日々味わううちに、私の心はすり減り、患者さんと向き合うこと自体が嫌になっていった。いつしか私は、外来という空間そのものを憎むようになっていたのだ。
システムからの逃走、そしてフリーランスへ
このままでは精神が壊れてしまう。そう感じた私は、その不合理なシステムから抜け出すことを決意した。専門である検査や手術に特化したフリーランスになることで、組織の理不尽な力学から距離を置いたのだ。
給与所得に依存しない経済的な基盤を築き、大嫌いだった一般外来はやらないと心に決めた。これは、自分の心とキャリアを守るための、必然的な選択だった。
予期せぬ転機と「趣味としての外来」との出会い
そんな折、本当にひょんなことから、定期的な外来診療を頼まれる機会が訪れた。正直、全く気が進まなかったが、「何事も経験だ」と思い、引き受けてみることにした。
しかし、実際にやってみるとどうだろう。驚くほど外来が楽しかったのだ。
報酬を度外視したとき、診療は「知的ゲーム」に変わった
今回の外来は実質的に無償で引き受けた形だった。他の検査や手術の報酬だけで十分に生活が成り立っていたためだ。外来はあくまで他の常勤医が捌けなかった新規患者のみで、時間に追われることもない。
するとどうだろう。診療は純粋な「知的ゲーム」に変わった。患者の話にじっくり耳を傾け、痛みや思いに共感し、最適な検査を組み立て、必要であれば各専門医へ橋渡しをする。普段使っていなかった頭の部分が再活性化されるような、知的好奇心を満たす喜びに溢れていた。
何よりの報酬は、患者さんからの「ありがとう」だった
そして何より私を驚かせたのは、患者さんからとにかく感謝されることだった。時間に余裕があるため、一人ひとりと十分なコミュニケーションが取れる。すると、多くの患者さんがこう言ってくれるのだ。
「今までいろんなお医者さんにかかったけど、こんなに親身に話を聞いてくれた先生は初めてです。本当にありがとう」と。
金銭的なインセンティブがゼロの場所で、純粋な感謝の言葉をいただく。これほど私のモチベーションをドライブしてくれるものはなかった。
私が得た大きな「学び」:危うく、医者という仕事を嫌いになるところだった
この経験を通じて、私は大きな学びにたどり着いた。私が嫌いだったのは「外来診療」という仕事そのものではなかったのだ。私が憎んでいたのは、ひたすら忙殺され、頑張りが報われない「労働環境」と「システム」だったのである。
もし、この事実に気づかないままだったらどうだろう。「医者の仕事は自分には向いていない」と誤解したまま、大切なキャリアを終えていたかもしれない。
ある仕事が嫌いになったとき、実は仕事内容ではなく、それを取り巻く環境や人間関係が原因であることは、きっと多くの人に当てはまるはずだ。
結論:経済的自由は「最高の趣味」を手に入れるための最強のツール
私は幸いにも経済的な基盤を確立していたため、これからは体に無理のない範囲で、趣味として楽しめる程度に医者の仕事を続けていくことができる。
私のように金銭や組織のしがらみから解放されたとき、医者の仕事は最高の趣味になる。無限の知的好奇心を満たしてくれ、社会的な信用も得られ、人から深く感謝される。その上、世間一般よりはるかに高い対価までいただけてしまう。こんな趣味はそうそう無いだろう。
経済的自由とは、ただリタイアするためのものではない。それは、かつて嫌いになりかけた「仕事」という名の情熱を取り戻し、人生を豊かにする「最高の趣味」を手に入れるための、最強のツールなのだ。
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