地獄のパスポートと、静かなる内戦の幕開け
ひょんなことから、私が住むマンションの自治会役員という「地獄のパスポート」を手にすることになった。多忙を理由に断ることもできたが、一種の社会実験としてこの小さな共同体の運営に身を投じることにしたのだ。しかし、そこで私を待ち受けていたのは、人間社会のあらゆる矛盾と欺瞞が凝縮された、滑稽でグロテスクな現実であった。
事の発端は、私が主導した些細な業務改善だった。役員の高齢化と負担増を背景に、これまで全戸にポスティングしていた配布物を、各階のエレベーターホールに設置した書類入れから住民自身が取る方式へと試験的に変更したのだ。無論、事前説明やメリット・デメリットを丁寧に記した掲示物も作成した。ところが、このささやかな試みに対し、正体不明の「匿名スナイパー」から執拗な集中砲火が浴びせられることとなる。手書きとワープロを使い分け、筆跡やフォントを変えて別人格を装うという、涙ぐましくも稚拙な工作が施された4通の怪文書。それは、単なる業務への反対意見という生易しいものではなかった。文書作成者の知性や人格、果ては自治会運営の正統性そのものを問うという、極めて個人的で粘着質な攻撃へと変貌していたのである。
「政治家気取りか」という壮大なブーメラン
数ある批判の中でも、特に私の思考を硬直させた一文がある。「何の立場で行政官や政治家のように振る舞うのか」。この言葉を目にした瞬間、私は怒りを通り越して、ある種の知的興奮を覚えた。彼、あるいは彼女は、根本的な勘違いをしている。自治会の役員とは、住民から権限を委譲された代議員に他ならない。つまり、その本質は「政治家」そのものではないか。自分たちの暮らしのルールを民主的に決定していくという、最も根源的な政治の舞台に身を置きながら、その自覚すらない。この致命的な認識のズレこそが、あらゆる共同体を腐敗させる病巣の正体なのだ。
さらに滑稽なのは、匿名という卑劣な仮面を被り、怪文書のマルチポストによって世論を操作しようと画策する、その振る舞い自体が誰よりも「政治的」で陰湿であるという事実だ。これは、進化生物学者が言うところの「自己欺瞞」の典型例である。自らの醜悪なエゴイズムを「共同体のための正義」という名の化粧で塗り固め、異論を唱える者を攻撃する。その壮大なブーメランが、いつか自らの頭部に突き刺さるであろうことにも気づかずに。このスナイパーとの静かなる内戦を通じて、私はこの国のあらゆる組織にはびこる「議論を避けて人格を攻撃する」という不毛な病理を、まざまざと見せつけられたのである。
タワーマンションという名のタイタニック号
このミクロなゴタゴタは、やがて私に、タワーマンションというマクロなシステムが内包する、より深刻で構造的な欠陥を暴き出した。現代の欲望の象徴ともいえるこの巨大な建造物は、いわば「豪華客船タイタニック号」なのである。30階の億ションに住む富裕層という「一等客室」の乗客と、2階の比較的安価な部屋に住む中間層という「三等客室」の乗客が、同じ一つの船に乗り合わせている。彼らは、資産価値も金銭感覚も、そして守るべきものの規模も全く異なる。にもかかわらず、自治会の議決権は「一人一票」という、見せかけの平等主義によって担保されているのだ。
この歪な構造が、悲劇的な機能不全を招くことは自明の理である。船体(建物)が老朽化し、何千万、何億円という莫大な費用を投じて大規模修繕を行うという局面、つまり氷山が目前に迫ったとき、この船の乗客たちは決して一枚岩にはなれない。一等客室の乗客にとって資産価値の維持は死活問題だが、三等客室の乗客にとっては、日々の暮らしを圧迫するコストでしかない。共通言語を持たない者同士が、どうして合理的な合意形成を成し遂げられるというのだろうか。それは、構造的に不可能な「無理ゲー」なのである。
「タワマン・ポピュリズム」がもたらす緩やかな死
この歪んだ民主主義のシステムは、必然的に「タワマン・ポピュリズム」という名の政治的堕落を誘発する。誰もが嫌がる「修繕積立金の大幅な値上げ」といった耳の痛い正論を唱える者は、今回の私のように「和を乱す厄介者」として袋叩きに遭う。そして、「波風を立てず、現状維持でいきましょう」と甘言を弄するリーダーが支持を集めるのだ。それは、財務が破綻していくのを先延ばしにするだけの、未来に対する無責任な先延ばし政治に他ならない。
国の政治であれば、そのツケは次世代に先送りできるかもしれない。しかし、マンションという閉鎖系では、そのツケは数年後、十数年後に自分たち自身へと、外壁の剥落、エレベーターの停止、そして資産価値の暴落という、極めて具体的で残酷な形で返ってくる。合理的な判断能力を持つはずのエリート層が、なぜこの非合理的な選択へと流れてしまうのか。それは、人間がいかに「目先の快適さ」と「面倒くささの回避」という短期的な快楽から逃れられない、弱い生き物であるかという冷徹な証明でもある。
自治会役員という経験は、私に一つの結論をもたらした。タワーマンションとは、永住を目的として購入する「終の棲家」ではない。それは、都会の利便性を享受したい若者が、その船体が朽ち果てて沈没する前に売り抜けることを前提とした、時限的な住居なのだ。いわば「買ったら負け」が確定しているゲームである。この壮大な社会実験の舞台から降りる決意を固めた今、私はこのグロテスクな共同体の行く末を、ただ静かに見守ることにしよう。


