【専門医は必要?】専門医資格は“医師版ジスマーク”──ないと損する現実とその理由

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専門医資格は“ジスマーク”──なくても働けるが、選ばれない理由

家電の安全基準を示すジスマーク(JIS)と同様、医師の専門医資格も「品質保証」の役割を果たしています。診療行為そのものに資格は不要ですが、採用や信頼獲得の場面でこの“ラベル”が重視されるのは明らかです。特に病院の経営陣や患者は、資格の有無で“問題のある医師では?”といった先入観を持ちやすく、選考・紹介・信頼の各プロセスで資格の有無が分かれ道になります。

医療機関が“専門医ナシ”を避ける理由──経営の視点から

病院経営者は、専門医資格がない医師に対して「過去に何か問題があったのでは?」という警戒心を持ちやすい傾向があります。特に地域病院や慢性的に人手不足な施設では、スタッフ間の調和や患者トラブルを防ぐ観点からも“リスクの少ない人材”が好まれる傾向があります。つまり、専門医資格がないだけで「要注意人物」とラベリングされかねないのが現実なのです。

専門医資格がないと困るシチュエーションとは?

専門医がなくても現場で活躍している医師は確かに存在します。しかし、医師紹介会社の求人条件や非常勤契約、公的機関との契約では「専門医必須」が明記されていることが多いのが現実です。厚生労働省の「令和4年度 医師需給分科会報告書」(出典) にも、診療報酬や人事制度における専門医の重要性が明記されています。特に高額報酬を狙う場合、専門医資格の有無が致命的に響いてきます。

“専門医不要論”の誤解と制度への誤認

「専門医なんていらない」という意見がSNSや一部メディアで見られますが、その多くは旧態依然とした医局制度や過重労働に対する反発に基づくものです。しかし現行の制度は年々柔軟化しており、個人で戦略的に専門医を取得するルートも整ってきています。つまり“制度が悪いから取らない”という選択は、医師自身のキャリアの幅を狭めてしまう可能性があるという点に気づく必要があります。

制度を批判する者ほど制度に依存しています。この国の構造そのものです。文句を言いながらレールから降りられず、それを正当化するために“専門医なんか意味がない”と唱えてしまうのです。しかし、現実はどうでしょうか。制度の内側で、静かに、巧みに“抜け道”を探し、最小の努力で最大の成果を得ている人たちがいます。

また「開業して人を雇えば専門医は不要」という意見も一部にはありますが、これは極めてナンセンスな主張です。典型的な生き残りバイアスであり、まったく参考になりません。開業するつもりであっても、開業までの過程、そして開業して軌道に乗るまでの時間において、専門医資格は大きな武器になります。「私は専門医なしで何とかなった」というのは、エアバッグが作動しなかったからといって、エアバッグが不要だと断ずるのと同じです。たまたま事故に遭わなかった者の声に従って命綱を手放すのは、あまりにもリスクが大きすぎます。

ゆるい勤務でも専門医は取れる──知人の実例紹介

実際、週4日勤務・オンコールなしの環境で内科系サブスペシャリティの専門医資格を取得した私の知人がいます。彼は地域枠やe-learningの活用を駆使し、ゆるやかな勤務体制でも要件をクリアしました。日本専門医機構(出典)によると、研修施設間の連携やオンライン講座の充実などにより、働きながら専門医を目指す医師が増加しているとされています。条件が過酷でなくとも取得可能な道は、今や広がっているのです。

「搾取されるだけの制度」と見えるかもしれませんが、情報を集め、使いこなす側に回れば制度ほど便利なものはありません。問題は、制度が不公平なのではなく、情報が不公平なのです。専門医を取らない自由はありますが、自由には責任が伴います。その責任を「自分は知らなかった」で回避するのは、プロフェッショナルの姿勢として恥ずかしいことです。

専門医は“選ばれる医師”になるための最低ライン

患者や医療機関にとって、専門医の肩書きは一種の信頼の担保です。医師個人の技術や実績がいかに優れていても、「資格がない」というだけで“選ばれない”事態は日常的に起こってきます。将来のキャリア選択肢を広げ、報酬や評価で損をしないためにも、専門医資格は「取っておいて損はない保険」と言えるでしょう。

私たちは皆、消費者の顔を持っていますが、同時に誰かの前では提供者でもあります。自分が信頼できるプロフェッショナルにお金を払いたいのであれば、自分も“信頼される側”になる覚悟が必要です。その象徴こそが、医師にとっての専門医資格なのです。

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