【コメ高騰ニッポン】――「悪いインフレ」に歓喜する人は、問題の本質が見えていない
「コメが高すぎて買えない」「政府は何をやっている」──2025 年春、日本中に鳴り響いた悲鳴を、あなたはどう受け止めただろうか。
私は正直、「ようやく市場が“正しい値札”を貼っただけだ」としか思わなかった。
インフレ目標 2%の“成れの果て”
デフレ脱却を掲げて 10 年余。ゼロ金利、マイナス金利、国債爆買い、ETF 爆買い……日本銀行が総動員した「禁じ手」の結果、手に入ったのは実質賃金のマイナスと生活必需品の爆騰だった。
本来インフレとは〈需要が拡大し賃金も一緒に上がる〉からこそ“善”になる。だが人口減で内需が先細る日本でそれが起こるはずもない。やって来たのはコストプッシュ型インフレ、つまり「給料は据え置き、コメとガソリンだけ倍」だ。
「謝罪辞任劇」はスケープゴート
農水相の失言(「コメは買ったことがない」)は確かに愚かだ。しかし高騰の本質は
- 2023 年の猛暑で収穫量が急落
- 肥料・エネルギー価格の上昇
- 備蓄不足と投機マネー
という複合要因であって、大臣一人の首を挿げ替えても何も変わらない。
補助金で“値下げ”すると、もっと高くつく
政府は「備蓄米の追加放出」「農家への支援金」「低所得層への給付金」──要するにバラマキ三点セットで価格を抑え込もうとするだろう。
だがこれは、
- 市場価格というシグナルをゆがめる
- 財政赤字をさらに拡大させる
- 業界団体が利権として吸い取る
だけで終わる一時凌ぎだ。ガソリン補助金が証明したように、“見せかけの安さ”は将来の重税で精算される。
「安すぎたコメ」こそ問題だった
戦後日本は農家票と食糧安全保障を理由に、減反と価格調整でコメを“政治商品”にしてきた。結果、
- 生産者は高齢化
- 農地は切り売り
- 真のコストは隠蔽
され、適正価格の発見が 30 年遅れた。今の高値は「暴騰」ではなく正常化である。
失われた 20 年が産んだ“歪んだ分配”
本来なら同一労働同一賃金・解雇規制緩和・転職支援で労働市場を流動化し、
企業収益 → 賃金上昇 → 需要増 → 良いインフレ
という王道を目指すべきだった。
ところが政治は団塊世代の雇用と年金を守るため、非正規・氷河期世代を踏み台にした。
その結果、若者は結婚も資産形成もできず、将来の社会保障負担だけ背負わされる。
2035 年、氷河期世代が 60 代に突入すると何が起きるか
- 低年金 or 受給資格なし
- 賃金も貯蓄も乏しい
- 国債発行余力ゼロ
そう、史上空前の“下流高齢者”が爆誕し、治安は一気に悪化する。無差別事件が頻発しても驚くには当たらない。
出口戦略は「痛みを受け入れる」ただ1つ
コメもガソリンも高くて当たり前という現実を受け入れ、
- 労働移動を円滑にする規制緩和
- 社会保障を「実質納付=実質給付」へ再設計
- “未来世代の負担”を可視化し、世代間交渉を政治課題の中心に据える
これしか生き延びる道はない。痛みなくして再建なし――冷徹な市場は、いつだって真実を突きつけてくる。
「構造を変えずにカネだけ刷る国」は、最後にカネすら刷れなくなる。
——ツケを払わされるのは、いつも声なき未来だ。