パパ活女子、本当のリスクは梅毒でも妊娠でも性暴力でもなく、価値観の破壊だって事に気づいているのかな。
おっさんとご飯食べて月10万もらえてラッキー、みたいな経験を積み重ねた人間が、
金のない若い男に本気で恋できるか?
その時に「損してる」って感情が芽生えたら、もう戻れない。
— タケル|医×経済×自由 (@thanksevrybody1)
March 12, 2023
パパ活女子へ──リスクは梅毒でも妊娠でもない、“価値観の崩壊”である
最近、X(旧Twitter)でこんな投稿を見かけた。
この一文に、ネットの誰よりも深い洞察がある。
メディアでは、パパ活に潜む「病気のリスク」や「性被害」ばかりが強調される。だが、それは本質ではない。梅毒は抗生物質で治るし、望まぬ妊娠には中絶という(倫理的な是非はさておき)制度が用意されている。性暴力だって、決して許されない行為ではあるが、刑法で裁かれる。
でも、価値観が壊れることに対する救済は、どこにも存在しない。
「売れる女になる」呪い
パパ活をしている女性の多くは、「自分の時間=商品」であり、「若さ=資産」だと信じている。そして、その資産を換金できるのはせいぜい20代半ばまでと、肌感覚で理解している。
だから、彼女たちは“今”を売る。
もちろん彼女たちは、自分の選択が「自由意思」に基づくと信じている。だが、もし“自由”とは「他者の期待から自由であること」だと定義するなら、彼女たちの選択は驚くほど不自由だ。
- 奢ってもらえる女になる
- 高級レストランに連れて行ってもらえる女になる
- 財布を出す女はモテない
そうした“売れる女になる”ための振る舞いが、いつしか自分の価値観を蝕んでいく。気づいたときには、愛や友情、あるいは自尊心といった無償の概念を信用できなくなっている。
金はすべてを測定する。だが、すべてを買えるわけじゃない。
「おっさんとご飯を食べて月10万円もらえる」と聞けば、合理的な若者ほど「やらない理由がない」と思うだろう。
この思考は、資本主義社会において極めて論理的だ。資本主義では、「価値」は市場で価格に変換される。労働も、時間も、若さも、体も、すべては価格がつく。
だが、「価格がつく」ことと「売っていい」ことは同義ではない。
アメリカの政治哲学者マイケル・サンデルは、著書『それをお金で買いますか』の中でこう述べている。
“市場社会ではなく、市場経済にとどめるべきだ”
つまり、社会のあらゆる価値観を金銭に置き換えてしまえば、社会そのものが壊れてしまうという警鐘だ。
パパ活はまさにこの典型である。
愛、信頼、つながり──それらを一度「金」で換算することに慣れてしまえば、もはや無償の関係に戻れない。
「元パパ活女子」は、人生のどこかでツケを払う
筆者はこれまで何人もの「元パパ活女子」に出会ってきた。
彼女たちの多くは、「あれは若気の至りだった」と言いながら、どこかで自己肯定感を回復しきれていない。
- 奢ってもらうのが当たり前
- お金のない男は無理
- でも、本当に信じられる人がいない
金銭的には“得”をしてきたはずの彼女たちが、なぜか恋愛もうまくいかず、結婚も遠のき、友人関係すら表面的になっていく。
もちろんすべての人がそうだとは言わない。だが、人間関係の“基礎設計”をお金で構築してきた人間が、ある日突然「無償の愛」や「対等な関係」を築けるようになるわけがない。
これは罰ではなく、単なる“構造”の問題だ。
自分の価値観を売った者は、もう一度買い戻すしかない
価値観を一度崩壊させてしまった人間が再生するには、“自己の修復”という長く苦しい工程が待っている。
その過程はまるで、粉々に砕けた陶器を少しずつ接着剤で貼り合わせる作業のようなものだ。
- 本当の友情とは何か?
- 金のない男とでも心を許せるか?
- 「私を選んだ」のか「金で買われた」のか、区別できるか?
そう自問し続け、壊れた価値観を少しずつ再構築するしかない。
終わりに──最大の損失は、“見えない損失”である
日本社会では、「見える損失」には敏感で、「見えない損失」には鈍感だ。
だから梅毒や妊娠、性被害といった“見えるリスク”ばかりが報道され、「価値観の崩壊」という目に見えないダメージは見落とされる。
だが、人生において最も恐ろしいのは、“何も失っていないように見えて、実はすべてを失っていた”という状態だ。
金はまた稼げる。だが、壊れた価値観を修復するには、金よりずっと多くの時間と覚悟が必要になる。
だからこそ、最後にこう言いたい。
──あなたが売っているのは、“若さ”ではなく、“あなた自身の未来”である。