日本スポーツ「黄金時代」という名の不都合な真実――3つのレガシーが底を突くとき

今の日本スポーツ界は、さながら「閉店間際の投げ売りセール」の様相を呈している。

オリンピックのたびにメダル獲得数は過去最高を更新し、テレビは「日本人の底力」を称賛する物語で溢れかえる。だが、冷静な合理主義者の目には、それが「繁栄」ではなく、過去の遺産を食いつぶして回している「清算」のプロセスにしか映らない。私たちが目にしている黄金時代は、3つの「レガシー」という名の貯金を一気に引き出したことで実現した、一過性のバブルに過ぎないからだ。

「人口ボーナス」という名の最後の残りカス

少子高齢化が絶望的なスピードで進むなかで、なぜこれほど優秀な若手アスリートが次々と現れるのか。その答えは、統計データの中に冷徹に刻まれている。

2025年現在、日本の総人口は約1億2300万人。10代から30代の絶対数は、まだ数百万人規模のボリュームを維持している。つまり、現在の代表選手たちは、人口減少が本格化する直前に滑り込んだ「人口ボーナスの尻尾」に乗った世代なのだ。彼らは、まだ十分な分母が存在した時代に生まれ、その中で熾烈な競争を勝ち抜いてきた「最後の精鋭」である。

「すでに生まれてしまっている世代」が引退し、2030年代、40年代に突入したとき、スポーツ界を待ち受けているのは、才能(タレント)の枯渇という名の地獄だ。分母が物理的に消滅すれば、どれほど優れた育成理論も意味をなさない。私たちは今、かつての経済成長期に蓄えられた「人間という資本」を、オリンピックという祭典で華やかに燃やし尽くしているのである。

国家資本主義が作り出した「官製アスリート」

次に目を向けるべきは、東京2020という巨大な利権が残した、ハコモノと予算のレガシーだ。

国はスポーツ庁を創設し、ナショナルトレーニングセンターなどの施設に巨額の投資を行った。スポーツ関連予算は2000年代の約120億円から、一気に300億円超へと膨れ上がった。これは、かつての旧ソ連や東ドイツが国家の威信をかけて行った「ステート・アマ」養成の日本版といえる。

科学的なサポート、高度な指導者、そして世界最高峰の練習環境。これらが「国際競技力向上」という名目で、エリート層に集中投下された。その投資効果が、今のメダルラッシュという形で結実しているのは事実だろう。しかし、この「官製レガシー」を維持するためのコストは膨大だ。五輪という狂騒が終わり、財政難に喘ぐ地方自治体が、維持費のかさむ巨大スタジアムを「負の遺産」として持て余すなかで、この贅沢な強化環境をいつまで維持できるのか。その見通しは極めて暗い。

「ブラック部活動」という名のフリーライド

そして、日本スポーツ界最大の、そして最も「邪悪な」レガシーが、学校教育に寄生した「部活動」というシステムだ。

中学・高校生の大多数が参加するこの仕組みは、若年層全体をほぼ強制的に網羅する「全数スクリーニング装置」として機能してきた。日本中の子どもたちが、同調圧力に押されて部活動に入り、その中から偶然にも適性を見出された逸材が、ピラミッドの頂点へと吸い上げられていく。

このシステムの驚くべき点は、その巨大な「一次選抜コスト」を、学校教育と教員の自己犠牲に丸投げしてきたことにある。顧問を務める教員たちは、時給数百円にも満たない「手当」で土日を潰し、深夜まで指導を強じられる。これは純然たる「搾取」である。

日本のスポーツの強さは、教員の無償労働という「ブラックなインフラ」の上に成り立っている。才能の種を見つけるためのコストを国家も競技団体も負担せず、教育現場の善意をフリーライド(タダ乗り)することで、安価なタレント供給源を確保してきたのだ。

「三脚」が折れるとき、何が残るのか

人口の厚み、国費の集中投下、そして現場の搾取。この3本足の椅子に座って、日本スポーツ界は優雅にシャンパンを飲んでいる。だが、その脚は一本ずつ、確実に折れようとしている。

2030年以降、この「三脚」が完全に崩壊したとき、日本のスポーツはどのような姿を見せるのか。おそらく、現在のような「全方位でのメダル獲得」は不可能になるだろう。残るのは、莫大な費用を払える富裕層の子弟だけが享受できる「高貴な趣味としてのスポーツ」か、あるいは徹底的に収益化された「エンターテインメントとしてのプロスポーツ」だけだ。

「部活動の地域移行」というお題目が唱えられているが、それは実質的に、これまで教員が負担してきた「コストの可視化」に他ならない。コストを支払わなければならない段階になって、私たちは初めて、自分たちがどれほど不当に安い価格で「スポーツの感動」を買っていたかを思い知ることになる。

レガシーとは、本来「未来への遺産」であるはずだ。だが、今の日本スポーツ界が誇るレガシーは、未来の世代からリソースを前借りしている「借金」に近い。祭りが終わった後の静寂の中で、私たちはその巨大なツケを払わされることになるだろう。

もっと詳しく知りたい方は、私のAmazonアソシエイトから関連書籍でも探してみてほしい。
おすすめの書籍はこちら

コメント

タイトルとURLをコピーしました