聖域の崩壊。グローバル経済に蹂躙される医療という名の脆弱な城
ガストログラフィン、ケナコルト、ニトリル手袋。これらの名前にピンとこない者も多いだろう。しかし、これらは医療の最前線を支える「弾薬」に他ならない。その弾薬が今、我々の手から静かに、しかし確実に奪われつつある。メーカーの製造工程で検出された発がん性物質、中東の地政学リスクが引き起こす海上封鎖。原因は常に、現場の努力では到底コントロール不可能な、地球の裏側で起きる巨大な奔流である。これは、医療という名の「聖域」が、いかにグローバル資本主義の暴力的な波に対して無防備で脆弱な存在であるかを白日の下に晒す、残酷なショーに他ならない。命を預かるという崇高な使命は、遠い国の工場の杜撰な管理や、一人の独裁者の気まぐれによって、いとも容易く機能不全に陥る。この冷徹な現実こそが、我々が今立っている断崖絶壁の正体なのだ。
「ないない尽くし」の三重苦。疲弊する現場という名の最終処分場
弾薬の枯渇は、この地獄の序章に過ぎない。現代日本の医療現場は、「薬もない、物品もない」という物資不足に加え、「カネもない、ヒトもいない」という二重の欠乏に蝕まれている。国が定める診療報酬という名の「公定価格」は、猛威を振るうインフレの波にまったく追いついていない。実質的な減収という名の経済的圧迫が、病院経営の首を真綿で締め付けるように絞め上げているのだ。
さらに深刻なのが、人的資源の枯渇である。看護師も介護職も、その過酷な労働環境と不釣り合いな低賃金によって、構造的な人手不足が常態化している。その上で、現場の優秀な人材は、診療報酬という名の「国家統制」から自由な美容医療の分野へと、まるで沈みゆく船から逃げ出すネズミのように流出していく。これは裏切りではない。劣悪な環境から自らの人生を守るための、極めて合理的な経済判断である。こうして、保険診療の最前線には、疲弊しきった者だけが取り残される。物資、資金、人材。すべてが欠乏するこの場所は、もはや治療の現場ではなく、社会の構造的矛盾が生み出したあらゆる歪みを一身に引き受ける「最終処分場」と化しているのだ。
思考停止した社会が押し付ける「命の選別」という名の十字架
この醜悪な構図は、コロナ禍という名の巨大なストレス試験によって、その病巣を完全に露呈させた。我々現場の医師は、とうの昔から気づいていた。「生産性のない高齢者に、ジャブジャブと際限なく医療資源を投入し続けるこのシステムは、果たして持続可能なのか」と。しかし、この「命の線引き」という、極めて重く不快な議論を、国民という名の巨大な共同体は一貫して拒絶し、見て見ぬふりを決め込んできた。「命は地球より重い」という空虚な綺麗事を念仏のように唱えることで、自らの思考停止を正当化してきたのだ。
その欺瞞が剥がれ落ちたのが、コロナの蔓延である。自らの命が脅かされるという恐怖に直面した途端、昨日まで「命の平等」を叫んでいた大衆は、手のひらを返したように「高齢者は寿命なのだから治療するな」という冷酷な効率主義を剥き出しにした。そして、その矛先を我々現場の医師に向け、「お前たちの判断で切り捨てろ」と罵声を浴びせたのだ。これは、何というグロテスクな喜劇だろうか。お前たちが議論から逃げ続けた結果生まれたこの惨状の責任を、なぜ現場の一兵卒に押し付けるのか。法律を飛び越えて患者を見殺しにする権限など、我々のどこにあるというのか。これは、自らが負うべき責任という名の十字架を、最も弱い立場の者に平然と背負わせる、大衆の卑劣な本性が炸裂した瞬間に他ならない。
無関心の請求書。現場をサンドバッグにする大衆という名の怪物
この構図は、医療費や年金問題においても完全に相似形を描いている。人口が逆ピラミッドとなり、社会保障制度がもはや破綻寸前であることは、少しでも社会に関心のある人間にとっては自明の理であった。警鐘は、何十年も前から鳴り響いていたのだ。しかし、大多数の国民は選挙にも行かず、自分たちの生活に火の粉が降りかかるまで、その警報を無視し続けた。
そして今、自らの社会保険料が引き上げられるという「痛み」を実感した途端、彼らは突如として被害者の顔で騒ぎ立てる。そして、その怒りの捌け口として、最も手近で反論しない「現場」をサンドバッグにするのだ。まるで我々が怠慢であったせいで、この国が傾いたかのような物言いで。断じて違う。お前たちが未来に対して無関心であり続け、痛みを伴う改革から目を逸らし、心地よい現状維持という名の麻薬に溺れてきた。その「ツケ」が今、高額な請求書となって回ってきたに過ぎない。人間は、自らを「社会システムの被害者」と規定し、目の前の誰かを「個人的な加害者」として断罪することで、自らの無作為の責任から逃れようとする醜い生き物だ。安価で質の高い医療を当然の権利として享受してきた受益者であるという事実を棚に上げ、義務を果たさずに権利だけを主張する。この怪物と化した大衆こそが、この国のシステムを内側から食い破る、最大の病原体なのである。
滅私奉公という奴隷根性を捨てよ。医師の冷徹なるサバイバル戦略
では、この絶望的なディストピアにおいて、我々に残された道はあるのだろうか。結論から言おう。この「社会の矛盾の最終処分場」と化した現場に、自らの人生のすべてを捧げることは、もはや英雄的行為ではなく、単なる愚行であり、緩やかな自殺に等しい。医局に忠誠を誓い、滅私奉公の精神で身を粉にすることが美徳とされた時代は、完全に終わった。なぜなら、我々が尽くす対象である「社会」や「システム」は、我々個人の人生を守る気など毛頭ないからだ。
この残酷な世界を生き抜くためには、まずすべての幻想を捨て去るしかない。「国や社会がいつか守ってくれる」という甘い期待は、ただ我々の貴重な時間を奪い、さらなる絶望へと突き落とすだけだ。我々が取るべき唯一にして最強のサバイバル戦略は、医療という名の「沈みゆく船」と適切な距離を保ち、自らの才覚でコントロール可能な「事業」という名の救命ボートを、別に用意しておくことだ。医療は、自らが楽しめる範囲で、知的探究心を満たすための一つの手段として関わる。それこそが、このグロテスクな世界で精神を病むことなく、自律性と自由を保つための、冷徹かつ合理的な最適解なのである。これからの若い医師たちに告ぐ。システムはお前たちを守らない。医局という名の封建制度の言いなりになるな。自らが置かれた状況を冷徹に分析し、自分自身の頭で考え、未来を設計せよ。世界は決して優しくない。その事実を受け入れた者だけが、本当の意味で自らの人生の舵を握ることができるのだ。

