「無敵の人」のテロを止める唯一の手段は、安楽死という「非常口」かもしれない
日本列島が、得体の知れない恐怖に覆われている。
電車内での刺傷、放火、あるいは路上での無差別な襲撃。犯人たちの多くに共通するのは、失うものが何もない「無敵の人」であり、その動機が社会への強烈なルサンチマン(怨恨)と、歪んだ形での「拡大自殺」にあることだ。
メディアは「許されざる犯行」「心の闇」と定型句を繰り返すが、そんな道徳的な説教で彼らが止まるなら、警察はいらない。彼らは「罰」さえも恐れない。なぜなら、彼らにとって現在の生こそが、監獄よりも過酷な罰ゲームだからだ。
この「無理ゲー」と化した社会で、暴発する彼らを止める手立てはあるのか。タブーを恐れずに言えば、私は「公的な安楽死の承認」こそが、テロを防ぐ最強のセキュリティシステムになり得ると考えている。
「出口」がないから、部屋ごと燃やす
誤解してほしくないのだが、私はここで「役に立たないおっさんは死ね」とか「人様に迷惑をかけるくらいなら、一人で勝手に死ね」などという、粗野な優生思想を語るつもりは毛頭ない。
むしろ逆だ。「死ぬことさえ許されない」という閉塞感こそが、怪物を生み出しているという構造的な欠陥を指摘したいのだ。
想像してみてほしい。出口のない密室に閉じ込められ、温度だけが上がり続ける状況を。人はどうするか。パニックになり、壁を叩き、最終的には部屋ごと破壊しようとするだろう。
「無敵の人」によるテロは、このパニック行動に他ならない。彼らは社会という密室で、孤独と絶望に焼かれ、逃げ場を失っている。「生きていればいいことがある」という社会のメッセージは、彼らにとっては「この地獄に永遠に留まれ」という拷問の宣告に等しい。
もし、そこに「非常口(Exit)」があったらどうだろうか。
「どうしても辛くなったら、苦痛なく、尊厳を持ってこの世界から退出できる」という権利が公的に保障されていたら。彼らの手にあるのは、凶器ではなく「非常口の鍵」になる。
逆説的だが、「いつでも死ねる」という安心感(セーフティネット)があれば、人はギリギリまで生きようとするものだ。そして、仮に限界が訪れたとしても、彼らは他人を巻き添えにする自爆テロではなく、静かな撤退を選ぶだろう。
「拡大自殺」という復讐
現代のテロリズムの多くは、「拡大自殺」と定義される。
死にたい、でも一人で死ぬのは怖い、あるいは悔しい。自分をここまで追い込んだ「幸せそうな連中(社会)」に一泡吹かせてから死にたい。このどす黒い感情が、凶行へのドライバーとなる。
彼らが憎んでいるのは、特定の個人ではない。「自分を排除しておきながら、生きることを強要し、楽しそうに笑っている社会そのもの」だ。
ここで重要なのは、彼らから「自己決定権」が奪われているという事実だ。仕事も、金も、愛も手に入らない。そして「死に方」さえも選べない。この全能感の欠如が、最悪の形での「力の誇示」――つまり殺戮へと向かわせる。
安楽死制度は、この奪われた「自己決定権」を彼らの手に戻す行為だ。「自分の幕引きを自分で決められる」という感覚は、人間の尊厳の最後の砦である。その尊厳が守られている社会に対して、人はそこまで激しい憎悪を抱くだろうか。
きれいごとが殺意を育てる
リベラルな知識人たちは言う。「死ぬ権利など認めれば、弱者が死に追いやられる」と。
一見もっともらしいが、これは現実を見ていない。現状はどうだ。「死ぬ権利」がない世界で、弱者は救われているか? 否、彼らは孤独死するか、あるいは絶望のあまりジョーカーと化して電車に火を放っているではないか。
「どんな命も尊い」という美辞麗句は、社会的な孤立無援の中にある中年男性にとっては、ただの欺瞞だ。社会は彼らに手を差し伸べないくせに、死ぬことだけは禁止する。この「生かし殺し」のダブルバインドが、彼らの精神を破壊し、凶行へと駆り立てる。
皮肉なことに、「死んではいけない」という過剰な生への執着(バイオポリティクス)が、結果として多くの無関係な市民の命を危険に晒しているのだ。
最後のセーフティネットとして
繰り返すが、これは「邪魔者を排除せよ」という話ではない。
苦しんでいる人間を、出口のない部屋に閉じ込めておくのはやめよう、という人道的な提案だ。
「いつでも逃げられる」と知っているからこそ、人は戦場のような日常を生き抜けることもある。
安楽死という選択肢は、社会に対する信頼を取り戻すための装置になり得る。「この国は、どうしてもダメになったら楽にしてくれる慈悲深さがある」と思えれば、社会へのルサンチマンは緩和されるからだ。
テロリストを擁護する気はさらさらない。だが、彼らを怪物扱いして思考停止するだけでは、次の事件は防げない。
我々は直視すべきだ。無敵の人によるテロは、個人の狂気ではなく、「死という救済」を頑なに拒絶する社会システムのバグが生み出した必然的な帰結であることを。
