【連載 Vol.1】年収数千万でも「低所得者」。社会保険料をハックする現代の錬金術

ライフハック

日経新聞の片隅に、興味深い記事が踊っていた。「年収200万円未満、医療費負担軽く」。高額療養費制度を見直し、住民税非課税世帯など、所得が低い層の医療費負担上限を引き下げるというニュースだ。

多くのサラリーマンは、これを読んで「ああ、また弱者救済か。俺たちの税金が使われるのか」と舌打ちをし、ページをめくるだろう。あるいは、発泡酒を片手に「政治家は貧乏人のことばかり考えて、頑張って働いている俺たち中間層から搾り取ることしか考えていない」と愚痴をこぼすかもしれない。

だが、私はその記事を見て、口元をわずかに緩めた。

なぜなら、この「年収200万円未満の弱者」には、年収数千万円を稼ぎ出し、タワーマンションに住み、高級外車を乗り回している私のような人間も含まれるからだ。

現代の身分制度「標準報酬月額」

私は地方都市を拠点とするフリーランスの医師だ。平日は複数の病院で外来や手術をこなし、週末は医療コンサルティングや講演活動を行っている。医師としての総収入は、世間一般の基準からすれば間違いなく「超富裕層」に分類されるだろう。

しかし、社会保険(健康保険・厚生年金)という巨大な官僚機構のデータベースにおいて、私は「月給5万円の貧困層」として登録されている。

これが、現代日本の制度設計に空いた巨大なバグ、「マイクロ法人」がもたらす現代の錬金術だ。

この国には、目に見えない厳格な「身分制度」が存在する。江戸時代の士農工商のような単純なものではない。もっと複雑怪奇で、しかし一度理解すれば簡単にハックできる代物だ。その身分を決める基準こそが、「標準報酬月額」である。

日本のサラリーマンが加入する社会保険制度は、原則として「会社から支払われる毎月の給与(標準報酬月額)」だけを基準に保険料を決定する。

ここが決定的なポイントだ。

年金事務所の職員は、あなたが株で何億円儲けていようが、不動産投資で莫大な家賃収入を得ていようが、あるいは夜な夜な副業で荒稼ぎしていようが、そんなことには一切関心がない。彼らが見ているのは、あなたの会社の給与台帳に記載された「額面給与」というたった一つの数字だけなのだ。

この硬直したシステムこそが、我々のような人種に「黄金の羽根」を提供している。

マイクロ法人という「貧困の鎧」

私は医師としての報酬を、個人と法人で完全に分離する「二刀流」の戦略をとっている。

  • 個人の財布(医師としての労働対価):
    病院での診療、手術、当直といった、医師免許がなければできない「労働」の対価は、私個人の口座に振り込ませる。これは多額になるため、当然ながら最高税率に近い所得税と住民税がかかる。ここは甘んじて受け入れる。
  • 法人の財布(知的生産の対価):
    一方で、医療コンサルティング、講演、執筆、監修といった「医師免許がなくても(理論上は)可能な知的生産活動」の報酬は、私が100%株主であり代表取締役を務める「マイクロ法人」の口座に振り込ませる。

そして、ここからが重要だ。私はこのマイクロ法人から、私個人に対して「役員報酬」を支払う。その額は、月額5万円。年収にしてわずか60万円だ。

この瞬間、魔法がかかる。社会保険のシステム上、私の身分は「年収数千万円の医師」から、「月給5万円の零細企業役員」へと書き換わるのだ。

「フリーライド」の果実

その結果、何が起きるか。まず、毎月支払う社会保険料(健康保険料+厚生年金保険料)は、会社負担分と個人負担分を合わせても月額1万円強、年間で15万円程度にまで激減する。

もし私が正直に、個人の医師としての所得(例えば年収2000万円)をベースに国民健康保険に加入していたらどうなるか。自治体にもよるが、保険料は上限の年間約100万円(介護保険込み)に達するだろう。国民年金と合わせればさらに増える。マイクロ法人を活用するだけで、年間80万円以上の「可処分所得」が、何のリスクも労働もなく手に入る計算だ。

それだけではない。冒頭で触れた「高額療養費制度」の恩恵も絶大だ。もし私が難病にかかり、月に100万円の医療費がかかったとしよう。年収数千万円の「上位所得者」区分であれば、自己負担額は月額25万円以上になる。しかし、標準報酬月額5万円の「低所得者」区分であれば、自己負担額は月額3万5400円で済む。同じ治療を受けているにもかかわらず、支払う医療費が7分の1になるのだ。

これが、日本の社会保障制度の現実だ。真面目に高額な給与を受け取っているサラリーマン医は、高い保険料を搾り取られた挙げ句、いざ病気になった時の自己負担も重い。一方で、制度のバグを突いた者は、最低限のコストで世界最高水準の医療にフリーライドできる。

「そんな不公平が許されるのか?」多くの人は憤るだろう。だが、感情論で制度は変わらない。私がやっていることは、六法全書のどこをどう読んでも、完全に適法な行為だ。法律家が作った複雑怪奇なルールブックを、誰よりも精緻に読み解き、書いてある通りに実行した。ただそれだけのことなのだ。

次回は、なぜ国はこのような「あからさまな抜け穴」を塞ぐことができないのか。その背景にある、官僚機構の構造的な病理について解説しよう。

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