「先生、その働き方って犯罪じゃないですか?」
若い研修医に20数年前の自分の日常を話したとき、真顔でそう返された。その瞬間、私は自分がもはや「老害」と呼ばれる世代の入り口に立っていること、そして、我々が生きてきた時代がいかに異常であったかを痛感させられた。
今の若い医師たちが、専門医資格の取得を「コスパが悪い」と口にする。無理もない。彼らは知らないのだ。我々が経験した、新臨床研修制度が始まる前の、そして学会が個別に認定する旧JISマーク(旧専門医)はあっても、今のような国家的な統一基準によるJISマークが存在しなかった時代が、どれほどの地獄であったかを。
そして同時に、私もまた彼らの話を聞くまで、今の国家的JISマーク制度が「書類作成ゲーム」や「キャリアの罠」という新たな地獄になりつつあることを、本当の意味では理解していなかったのかもしれない。
医局が絶対だった時代、我々は「部品」だった
信じられないかもしれないが、これが新臨床研修制度が始まる前の、私の研修医時代の現実だった。
- 大学病院からの給与は月額14万円。税や社会保険料が引かれる前の「額面」の金額だ。
- 残業代は存在しない。我々の時は2年間の初期研修が一番しんどかった。何のスキルも知識も持たない人間が、人件費の安い労働力としてサービス残業でこき使われることでしか、存在意義を示せなかった。
- 情報の非対称性。当時は今ほどインターネットが発達しておらず、スマホもなかった。卒後は卒業大学で研修するのが当たり前で、民間病院での研修情報は口コミくらいしかなく、信頼できるネット情報も皆無だった。そのため、他に有利な就職先を探す手段も乏しく、雇用する大学病院側に圧倒的な力があり、我々は何も抵抗できなかったのだ。
- 過労で倒れても、全て自己責任。病院から見舞いの言葉一つなかった。
なぜこんな非道がまかり通っていたのか。それは、病院にとって、「最もコストの安い労働力(=研修医)を、限界まで使い潰すこと」が、最も合理的だったからだ。我々の人権やキャリアなど、医局の論理の前では何の価値も持たなかったのだ。
国家的JISマークの誕生と、書類作成という矛盾
その地獄に比べれば、今の研修医の環境は天国だ。インターネットの発達により研修医と研修病院の情報非対称性が解消されたこと、そして国の設計した新しい専門医制度(国家的JISマーク)は、少なくとも医師を「人間」として扱うようになった。給与は支払われ、無茶な労働は減った。これ自体は、手放しで喜ぶべき偉大な進歩である。
だが、若い研修医たちは口を揃えてこう言う。「臨床スキルを磨く時間より、膨大な書類作成とレポート提出に追われている」
本来、良い医師を作るための品質保証(=JISマーク)だったはずが、いつの間にか**「JISマークを取得するための手続き」をこなすこと自体が目的になってしまっている**。これは制度が抱える一つ目の大きな矛盾だ。
なぜ3年目で燃え尽きるのか?負荷の逆転が生んだ悲劇
そして、さらに深刻な問題が起きている。専門医を目指す後期研修に入った途端、ドロップアウトしてしまう医師が確実に増えているのだ。
これは、初期研修のあり方が激変したことに起因する。新臨床研修制度とマッチングの導入で、研修医と病院の立場は逆転した。研修医は病院を「選ぶ側」になり、病院は研修医に選ばれるために手厚く保護するようになった。今や、指導医やナースより先に初期研修医が定時で帰ることも珍しくない。
ここまではいい。サラリーマンとは本来そういうものだ。しかし、仕事とは、キャリアを積むにつれて裁量が増え、だんだん楽になっていくから耐えられる側面がある。
我々の時代は、地獄の初期研修を乗り越えれば、後期研修は専門性も身につき、多少きつくても負荷としては「楽に」なった。だから耐えられた。しかし、今の研修医はどうだろうか。
過剰に保護された「ぬるま湯」の2年間を終え、3年目になった彼らを待っているのは、旧態依然とした過重労働だ。大きく改善されたのは初期研修の2年間だけで、後期研修の現場は相変わらずひどい。大学病院は「専門医」というエサをちらつかせ、後期研修医を安価な労働力としてこき使う。ぬるま湯から灼熱地獄へ――。この急激な負荷の変化に、心が折れてしまうのは当然ではないか。
制度の理想が生んだ「医師偏在」という悪夢
さらに皮肉なことに、研修の機会を公平にするはずだった新制度は、かつてないほどの「医師の偏在」を加速させている。かつて医局が半ば強制的に行っていた地方病院への医師派遣という安全装置が外れた結果、若手はこぞって症例数の多い都会の有名病院を目指すようになった。
結果、東京や福岡では医師が余り、地方の病院では外科医が一人もいなくなるという悪夢のような事態が進行している。国民に質の高い医療を均てん化するという制度の理想が、地方の医療崩壊を招いているのだ。
我々はこの残酷なゲームをどうサバイブすべきか
結論から言おう。我々医師は、巨大な医療市場に投入された「資本」である。そして専門医制度とは、その資本の品質を保証し、市場価値をラベリングするための巧妙なゲームに他ならない。
このゲームの主催者である国や巨大病院が考えているのは、個々の医師の幸福なキャリアではない。彼らにとって重要なのは、医療という社会インフラを維持するため、品質が均一化された労働力を、可能な限り安価かつ安定的に供給することだ。初期研修を手厚く保護するのは、市場への参入者を増やすため。後期研修で過重労働を強いるのは、専門医という「JISマーク」の価値を維持しつつ、労働力を安く使うため。全ては合理的なシステムとして設計されている。
この冷徹な事実を前に、我々ベテランが若手にかけるべき言葉が「頑張れ」や「我々の時代はもっと大変だった」などという精神論であるはずがない。そんなものは、システムの受益者側が労働者を効率的に管理するためのプロパガンダでしかない。
では、この残酷なゲームの中で、我々はどう立ち振る舞うべきなのか。選択肢は2つしかない。
一つは、このゲームから降りることだ。専門医を目指さず、別の形で医師として働く道を選ぶ。これもまた、個人の幸福を追求する上での合理的な戦略だろう。
そしてもう一つは、ゲームのルールを徹底的にハックし、システムを最大限に利用することだ。「JISマーク」は、もはや医師人生のゴールではない。それは、この残酷な労働市場における、自分の価値を交渉するための最低限のライセンスに過ぎない。このライセンスを最短で取得し、次に考えるべきは、いかにして自分の市場価値を「JISマーク付きのコモディティ(一般品)」から「代替不可能なハイブランド品」へと引き上げるか、という一点に尽きる。
それは、特定の外科手術で圧倒的な症例数を誇ることかもしれないし、臨床研究で世界的な業績を上げることかもしれない。あるいは、医療とIT、医療と経営といった複数の専門性を掛け合わせた、唯一無二の「人的資本ポートフォリオ」を構築することかもしれない。
我々ベテランにできることがあるとすれば、それはウェットな師弟関係を築くことではない。このゲームの巧妙なルールと、その中で自らの価値を最大化するためのリアルな「攻略法」を、ドライに次世代へ開示することだけだ。
国も、病院も、医局も、あなたの人生を守ってはくれない。守れるのは、市場が評価するあなたの「価値」だけだ。JISマークを取得したその先で、あなたは何者になるのか。その戦略を描き、実行できる者だけが、この残酷なゲームの勝者となる。

