目次
- はじめに:それは「終わりの始まり」ではなく、必然の帰結
- 構造的問題:人口動態という不可逆な現実
- 延命措置の歴史:崩壊を先延ばしにした4つのフェーズ
- 加速要因:官僚の致命的な設計ミス
- 人的コスト:梯子を外された世代の悲劇
- おわりに:合理的な個人が取るべき生存戦略
静かに崩壊する日本医療 ― 国民皆保険という「無理ゲー」の終焉
はじめに:それは「終わりの始まり」ではなく、必然の帰結

2025年、国立大学病院の巨額赤字が報じられた。メディアは物価高や人件費高騰を原因に挙げるが、それらは単なる引き金に過ぎない。我々が直面しているのは、もっと巨大で、構造的なシステムの限界である。
これは日本という国家が抱える問題が、医療というドメインで顕在化したに過ぎない。この崩壊は予測可能であり、合理的な個人にとっては当然の帰結だった。本稿では、なぜこの「詰んだゲーム」がこれ以上続けられなくなったのか、その構造を分解していく。
構造的問題:人口動態という不可逆な現実
すべての議論の前提は、日本の人口動態という冷徹な事実だ。社会保障とは「支える側(生産年齢人口)」と「支えられる側(高齢者)」のバランスで成り立つ。この均衡が崩れれば、システムは維持できない。自明の理だ。
かつての「神輿」型社会は、少数の若者が多数の高齢者を支える「逆ピラミッド」型へと変貌した。医療費は増大し、保険料収入は先細る。この巨大な構造変化の前では、個々の政策など誤差の範囲でしかない。この経済的インバランスこそが、日本医療が行き詰まった根本原因である。問題は、この事実から目を逸らし、問題を先送りし続けてきたことにある。
延命措置の歴史:崩壊を先延ばしにした4つのフェーズ
崩壊寸前のシステムは、これまでいくつかの手口で延命されてきた。
フェーズ1:精神論による支配(~2004年)
かつて日本の医療は、大学医局という封建的システムに支配されていた。「患者のため」という精神論と、キャリアを人質にしたパワハラが、若手医師の無償労働を正当化し、地方の医療インフラを強制的に維持した。
フェーズ2:個人の自己犠牲への転嫁(2004年~2024年)
新臨床研修制度で医局の力が弱まると、次なる延命策は「医師のサービス残業」となった。法的な労働時間管理の不在を逆手に取り、システムのコストを医師個人の倫理観と責任感、つまりは「自己犠牲」に転嫁することで、増大する医療需要に対応したのだ。
フェーズ3:補助金という名の麻薬(コロナ禍)
そして最後の延命措置が、コロナ禍で投じられた巨額の補助金だ。構造的赤字に陥っていた多くの病院経営は一時的に糊塗された。だが麻薬が切れれば禁断症状が出るように、補助金が尽きた今、システムの本当の姿が白日の下に晒されている。
フェーズ4:働き方改革とインフレという「最後の審判」
そして2024年、ついにシステムに終止符を打つ「留め」が刺された。医師の働き方改革と、歴史的なインフレである。
これまで事実上タダ働きさせてきた医師に、法に基づき残業代を支払わなければならなくなった。ただでさえ医師不足で人件費は高騰している。そこへ、あらゆるコストを押し上げるインフレが襲いかかった。収入は公定価格(診療報酬)で固定されているのに、支出だけが青天井で増えていく。これで経営が成り立たなくなるのは必然だ。
重要なのは、これが崩壊の「原因」ではないということだ。それはあくまで、とうに死んでいたシステムに死亡宣告を下すための「トリガー」に過ぎないという理解である。
加速要因:官僚の致命的な設計ミス
システムの崩壊を加速させたのが、2004年の新臨床研修制度という、厚生労働省による壮大な制度設計の失敗だ。官僚たちの狙いは、強権的な医局を解体し、医師の配置を自らのコントロール下に置くことだった。だが彼らは、医局が担っていた「医師の強制分配機能」という不都合な現実を無視した。
医局という「枷」を外された若手医師たちは、合理的な個人として行動を始めた。給与が高く、QOLを確保できる都市部の人気病院に彼らが集まるのは当然の選択だ。結果、医師の地域・診療科偏在は悪化し、一部はより高い報酬を求めて自由診療市場へと流出した。
官僚たちは、医師を「公共財」として自由に配置できる駒だと錯覚していた。だが、医師もまたインセンティブに従って動く市場のプレイヤーだ。古い支配構造を破壊しただけで、新たなインセンティブ設計を怠った改革が、システムの崩壊を決定的に早めたのである。
人的コスト:梯子を外された世代の悲劇
この20年の地殻変動は、医師の間に残酷なまでの非対称性を生んだ。
| 世代 | 支配的なルール | キャリアパス | 現在の状況 |
|---|---|---|---|
| 旧世代(現・中堅) | 医局への絶対服従 | 奉仕と忍耐の末に地位を得る | ルール変更で梯子を外された「逃げ遅れ」 |
| 新世代(現・若手) | 市場原理と個人の選択 | 労働条件とQOLを最大化 | 合理的な選択でキャリアを最適化 |
旧世代は、「若いうちは無給で尽くせば、いずれ報われる」という古いゲームのルールを信じてプレイしてきた。しかし、彼らが中堅になる頃、ゲームのルールそのものが変更された。人手不足の穴を埋めるため過酷な労働を強いられ、新しいゲームに適応するには歳を取りすぎた。彼らは、システムの移行期に生まれた最大の犠牲者、「逃げ遅れた」世代だ。
おわりに:合理的な個人が取るべき生存戦略
大学病院の赤字は、終わりの始まりではない。それは、とうの昔に終わっていたゲームの精算が、ようやく始まったというだけの話だ。人口動態というマクロな現実と、制度設計の失敗というミクロな要因が重なり、システムの崩壊はもはや誰にも止められない。
この現実を前に、感傷に浸ったり誰かを非難したりすることに意味はない。重要なのは、この事実を冷静に認識し、合理的な個人としてどう行動するかだ。私が10年前に組織を離れたのは、この未来を予見していたからに他ならない。
しかしこれは、私が他の医師より知能が高かったからではない。確かに目の前の事象から一歩ひいて、具体から抽象に変換する能力は少々高かったように思う。だが、同様に気づいている医師は当時から複数いたのだ。実際に動けたのが、ごく少数だったというだけである。
構造的な欠陥は、必ず現実化する。
そんな未来を予測するのに天才的な頭脳は必要ない。必要なのは、感情や同調圧力に流されず俯瞰的に分析する冷静さと、導き出された結論を実行に移す、ほんの少しの勇気だけだ。
さぁ、あなたにはその準備と覚悟ができているだろうか?


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